柴田さんのSTS−135取材 スペースシャトル最後のフライト
2011年7月5日 まず都内へ出発 さて、今回はスペースシャトルの最終フライトとなるSTS−135・アトランティスの取材である。約30年もの長い間、アメリカの有人宇宙飛行を支えてきたスペースシャトルもいよいよ引退だ。これを逃すともう二度と見られないのだから、万難を排して行くしかないよね。 実はひとつ前のSTS−134(エンデバーの最終フライト)にも行こうとしていたのだが、このときはオバマ大統領が視察に来る事になっていたので、海外メディアに対する警備が厳しくなるかなと思って躊躇していた。その後、打ち上げが延期になって、さらに大統領の視察が終わり、それなら行くかと思っていたが、天気予報が良くなかったので様子を見ているうちにあっさり打ち上がってしまった。とにかく悔しかったので、今回はとにかく行こうという意識が勝った。まあSTS−134は曇り空だったから、あまり撮影には向かなかったけどね…と負け惜しみ(笑)。 2月の渡米(STS−133打ち上げリターンマッチ編参照)に続いて、今回も羽田空港から出発予定なのだが、午前4時前から搭乗受け付けが開始されるって、早すぎるねえ。そのため空港近くのホテルを予約したが、あまりにもホテルに滞在する時間が短いので、勿体ないような気がする。 ただ、予約するときにホントに羽田から飛ぶのか何度も確認してしまった。だってさあ、どうしても「国際線は成田から飛ぶ」というイメージが抜けなくて。 (※2月は羽田を成田と勘違いし、成田近くのホテルを予約するところだった。ほら、どっちも「〜田」って地名が似ているから…とは言い訳にならないな・笑) 家を出発するときの天候は、梅雨の季節らしく雨ときどき曇り。梅雨入りした山形の、いつもの天気…なんだろうか。最近は異常気象が当たり前のように起こっているので、平年並みの天気という方がかえってよく判らない。幸いにも家を出た頃は雨が降っておらず、車輪つきの巨大なトランクをがらごろ転がして駅に向かう。 実はあまりにも荷物が重いので駅まで送ってくれと友人に頼んだのだが、たまたまその時間帯に生産物の放射性物質検査があり、とても行けないとのことだった。そのため駅まで歩いたのだが、雨が降っていなくてほっとした次第である。 (※後日聞いたところによると、幸いにも放射性物質は検出されなかったそうである) んで、新幹線に乗り込んでほっとしたらば、国内用のポータブルWi-fiを忘れてきた事に気づく。まあ国内でしか使えないものなのだが、移動中の大事な通信手段なのでちょっと慌てた。ホテルに入るまでネットが使えないのは不便だなあ。 (※ロケットを見に初めて行った頃は、ネットどころか携帯電話の利用すらままならなかったことを思えば随分と楽になったものである。なお、この忘れてきていたと思われた国内用Wi-fiだが、ちゃんとバッグに入っていた・笑) ところで新幹線の座席には、サービスとして雑誌や通販の冊子があるのだが、そのなかのトランヴェール(2011年7月号)が興味深かった。小惑星探査機「はやぶさ」の川口プロジェクトマネージャと落語家の柳家小ゑん師匠の対談も面白いのだが、今回はそれよりも蒸気機関車C61型20号機の復活の記事が気になった。この蒸気機関車は1973年に一旦引退したのだが、今年6月に38年ぶりに復活したとある。つまり、30年間飛んだスペースシャトルが初飛行する少し前まで現役で走っていたことになる。そう思うと妙な感じがするよねえ。 まあ蒸気機関車廃止からシャトル飛行開始までは、小学校に入った子供が中学生になるほどの年月があるわけだが、生まれたての赤ん坊が中年になるような30年というシャトルの運用期間よりはずっと短い。小惑星探査機「はやぶさ」や、金星探査機「あかつき」の運用期間を考えればなおさらだ。 あっという間だったのか、それとも四半世紀以上も続いたのか、見方によっては感じ方も違うけど、柴田も歳を食ったせいか短く感じるなあ。 スペースシャトルの最初のフライトであるSTS−1・コロンビアが打ち上げられたのは1981年4月12日で、更に大気圏内の滑空試験機であるエンタープライズが飛んだのは1977年だ。当時、柴田はこれらのニュースを見ていたけれど、既に生まれる前の話だと言う人も多いだろう。 蒸気機関車は1976年辺りまでに、旅客や貨物などの運用から次々と廃止されたそうだが、割とすぐ後にスペースシャトルが飛び始めていた訳だな。つまり最新機器のカタマリのようなシャトルも、そんな時代に設計や製造が行われた訳か。ソユーズほどではないが、いつの間にか長寿のシステムとなっていた訳だ。 という事は、シャトルよりさらに前のアポロ計画の頃は、日本ではまだまだ蒸気機関車が沢山走っていたわけである。アポロ搭載のコンピュータとよく比較される任天堂のファミコンですら1983年の発売だ。当初からシャトルに搭載されていたコンピューターは、今の一般向けパソコンとすら比較にならない程の低性能だったのだろうねえ。 まあ処理の速さより信頼性が重視されるのが宇宙仕様だけど、それにしても30年の差は大きいだろう。宇宙向けの機器も進歩しているので、今ではその差が縮まっているとは思うが。 冊子を読んで、今で言うなら蒸気機関車と新幹線が並んで発車するような気分を感じた訳だが、シャトルと並ぶはずの次期有人宇宙船が、今のところいまいちはっきりしていないのは残念である。もしかしたらこの30年間は、殆ど進歩していないのかなあ…とも感じてしまう。 まあ宇宙開発というものは劇的な変化がなかなか少なくて、地道に進歩を続けているから…ということにしておこう。 そういえば、旧三陸町のMT-135P観測ロケットや、内之浦のミュー・ファイブ・ロケットの最終打ち上げにも柴田は行っている。どれもひとつの時代が終わる様子を肌で感じたのだが、言葉の違うアメリカではどういった反応で、どう感じるのかも興味がある。 ちなみに旧三陸町の気象庁気象ロケット観測所での打ち上げは、2001年3月21日に終了したが、奇しくもシャトルと同様に約30年間の運用だった。それからすれば1997年から打ち上げが始まったミュー・ファイブ・ロケットは短いとも感じるが、ミュー・ロケットという考え方で見ると、内之浦の殆ど全ての衛星打ち上げに関わったほどに長かった。 さすがに開発から30年以上も経過すれば、新しい技術や目的、そしていろいろな思惑が出てくるから、引退などの節目を迎えやすいのかな。 (※気象庁気象ロケット観測所:1970年度に初打ち上げ。以降、1,119回の打ち上げを行った。ミュー・ロケット:1971年2月16日にM-4S-2号機が成功。2006年9月23日、M-V-7号機打ち上げをもって廃止。現在、次世代のイプシロン・ロケットを開発中) 都内に着いたら、準備が間に合わなかったものを中心に買い物をする。USB接続の充電池や、ノートパソコンの予備バッテリーなどである。調子の悪いコンパクトデジカメの代替機も調達したいのだが、パッケージが重たくて邪魔になるので見送りにした。遠景でピントが合わないときがあるのだが、今回は気をつけて撮影するしかないな。 実はカシオのEX−F1の代替機となりうるモデルが出ていたのだが、常用するコンデジとしてはいまいち機能が足りないので躊躇したというのもある。 (※カシオEX−F1:デジカメ…というよりもハイスピード撮影に特化したビデオカメラとしての使い方が有名かも。某ロケットエンジンの開発では欠かせない機器になっていた。今回もシャトル打ち上げのハイスピード撮影を考えたのだが、EX−F1は一眼レフに匹敵する大きさと重さがあり、バッグに入らないのであきらめた) 続いて羽田空港の国際線ターミナルに行く。明日の出発時刻が早いので、今のうちに米ドルへの両替をするためだ。円高なのでいい感じに両替できるが、帰国した時に余っていて、しかも更に円高になっていたら問題だなあ。 (※円高:このとき81円前後。そして案の定、円高が進行して…) それと旅行保険の加入手続きを行う。以前、アメリカでひどい腹痛を起こした経験から、保険への加入は絶対に必要だと感じている。あの時は使わなかったけど、アメリカでの医療費は高額になるので念のためである。聞くところでは、虫垂炎の手術程度で請求が百万円単位になったなんて事もあるようだし。 それからレンタルしたポータブルWi-fiを受領する。これはケネディ宇宙センターやホテルの無線LANが混んでろくに繋がらなかった経験から、今回から使ってみることにしたのだ。どんな装置なのか判らなかったので不安もあったが、収納ケースはハードカバーの本より大きいものの、機器本体は名刺入れ程度と小型軽量なので助かった。ケースには充電器と取り扱い説明書が入っている。 もっとも、日本国内でテストできないので、現地で使えるかどうかはぶっつけ本番だ。とはいえ、もし不具合が出ても別の無線LAN経由で対策を調べられるだろう。要するにどちらかが冗長系となる使い方だ。 また、ネットでの買い物などは、オープンな無線LANよりも、こちらのWi-fiの方がセキュリティ面で多少はマシだろうと思っている。あちらでも飛行機の予約などで、いろいろと使うからねえ。 あとはホテルに戻って、ここはさすがに完備されているホテルのネット環境を使って飛行機のチェックインを…あれ、またエラーが出る? 前回もそうだったのだが、途中で手続きが停止してしまうのだ。電話で問い合わせると、窓口で手続きしてくれって、いつものパターンだなあ。 なんか疲れたので寝ていたかったのだが、かゆみ止めを忘れてきたので慌てる。うーむ、夏場のケネディ宇宙センター周辺は蚊の襲撃が凄まじいと聞いているから不安だなあ。虫除けは持ってきているが、それだけでは不十分だろうし。 という事で近所のコンビニを数軒ハシゴしたが、どうやら取扱品目には含まれていないようで売っていない。もしかして薬に分類されるのかな。という事で薬局にも行ってみたが既に閉店していた。夜中まで営業している薬局は…さすがにここらでは知らないなあ。 仕方なく、羽田空港の売店で売ってることに期待して布団に潜り込む。 羽田空港の飾り付け。 翌日に進む 打ち上げ 2011年7月5日 まず都内へ出発 2011年7月6日 三度目のフロリダ 2011年7月7日 RSS開放予定日 2011年7月8日 STS−135・アトランティス打ち上げ日 2011年7月9日 オーランド 2011年7月10日 オーランドからタイタスビルへ 2011年7月11日 休みの日 2011年7月12日 警察博物館 2011年7月13日 ディスカバリー号との再会 2011年7月14日 ビジターコンプレックス 2011年7月15日〜16日 オーランドから日本へ 着陸 2011年7月18日 また東京へ 2011年7月20日 アトランティス帰還予定前日 2011年7月21日 スペースシャトル最後の着陸 2011年7月22日 休養日のはずが観光日になる 2011年7月23日 ケネディ宇宙センター見学ツアー 2011年7月24日〜25日 帰国 メニューへ戻る
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