柴田さんのロフト・プラスワン「小松左京、かく語りき」  



2005年11月17日 ロフト・プラスワン「小松左京、かく語りき」

 内容をかなり省略していますがその辺りはお察し下さい。敬称も一部省略させていただきました。

 小松左京先生の作品に私が初めて触れたのはどこまで遡るのだろうか。なにしろ数が多く、私が生まれた頃には既に一連の著書からテレビドラマ、そして万博まで幅広くあったのだから「生まれついての小松っ子よ!」という世代にもなれたわけだ。
 しかし明確に「小松左京著」と書かれてた本としては学生時代の「さよならジュピター」や「首都消失」「日本沈没」というから現代にだいぶ近づく。
 何故そんなに遅いのかというと、情報の入手がろくにできない田舎町で、品揃えの悪い本屋しか知らなかったという現実がある。しかも真面目に学校に行っている割に図書室にあまり入らなかったせいか、そこの蔵書に作品があるのかすら知らなかったのである。
 (※当時の小中学校の図書室は誰もいなくて寒いイメージしかない。高校では部室で遊んでいた気がする)
 しかし学校をサボってまでしてどこからか仕入れてくる悪友がいて、小松左京、星新一、筒井康隆、小林信彦などの一連の作品や海外SFは、その悪友宅に押しかけては読み漁っていたのだった。
 (※お前が一番の悪人だという突っ込みはとりあえず無し)
 柴田の学生時代において貸本屋というものはとうに絶滅済みであったが、今勢力を伸ばしている郊外型の大型の本屋や古本屋はまだ無く、そしてなによりインターネットが無かったという、いわゆる谷間の世代である。この時代、良い本の情報は貴重であった。
 本屋で探すより傾向の偏った悪友が集めた本の巣窟はそれだけ内容が濃く、もちろん真っ白だった柴田なんぞはあっという間に染まったものである。ただこれが後に効いた。今では「お堅い」と評されるSFをまるで抵抗なく読めるのだから良い経験だったと感謝せねばなるまい。
 さてSFの仕掛けには大雑把に分けて科学の延長として説明するものと、魔法のようなもので説明するものがある。作品としての優劣は作者の力量であるが、魔法の場合は「魔法だから」で説明が終わってしまい、それを実現しようとは思わないだろう。
 しかし科学で説明するものは、いつか実現してやる、あるいは解決してやるという意志が生まれるのではないか。例えば「日本沈没」を読んでいると「俺ならこうする」とか「こうやれば回避できるのでは」あるいは「こういった原理だからこういう結果になるはず」と考えている自分に気が付くだろう。SFの良い所とはそういった夢を生み出す力があるところなのだ。そういった意味で小松先生の作品群はその宝庫とも言える。
 ところが今回、その小松先生自らが語るというイベントが行われるというのだから、これはもう行ってみるしかなかった。

 さて壇上に登場された小松左京氏は杖をついておられた。初めてお目にかかるわけだが、失礼ながらもっと若い方と想像していたので、多少の衝撃をもって迎えざるを得なかった。
 入り口で販売していた「小松左京マガジン」には昭和6年生まれとあり、それならば同元年生まれのうちの親よりは若いだろうと勝手に想像していたのである。もっともその年表を見れば相当な激務をこなされてきたことが判り、その割には壮健ではないかと思い直す。

 最初の話題はダンテ。その作品の中に地球の中心に悪魔(?)が囚われているという話があるのだが、何故地球の中心という重力的な概念が想像できたのかが不思議であったとか。ダンテは1321年没というから万有引力で有名なニュートンよりも随分と前である。いや引力以前に地球の真ん中という考え方が一般的だったかすら判らない。確かに謎でありそして先見である。これに興味を持ったのがこの道に入るきっかけの1つだったらしい。
 そして話題は学徒の時代などへ。印象的だったのは原爆の話で、新聞に掲載された新型爆弾の記述を兄上は即座に原爆であると断じていたそうである。今ならば原爆か否かは即座に判別できる情報が揃っているのだが、当時は情報が極端に制限されている時代である。いやそれどころか原爆の概念すら怪しい時代でもある。ある程度それらの情報を知り得たということは、どういった方だったのだろうか。ただ思うに次はここかもしれないという恐怖があったはずで、そういった情報には敏感になっていたとも想像できる。
 ちなみに昭和16年頃には既に小学生新聞(?)で富士山が吹っ飛ぶ威力として原子爆弾の話が出ていたので氏自身もその名称は知っていたそうであるが、まさか本当だとは思えなかったとか。
 驚いたのはこういった子供の頃からラジオ番組に出演していたことである。年表を見るとゲストではなくホスト側であったとあるので更に凄い。
 ただ何時の間にか某組織に登録されていて、そのため某大手報道の面接に落ち続けたという話も出た。まあその某大手に採用されていたら、今の作品の流れともまた違ったものが生まれていた可能性はある。
 次に大阪万博の頃である。太陽の塔の命名の経緯は、これは故岡本太郎氏の独断だと思っていた自分にとっては衝撃というか「笑撃」である。
 また話の内容からして準備に関してはもう愛知万博も真っ青のジェットコースターであったのではないかと想像した。
 ところで先日大阪を訪れた笹本氏が万博会場跡地に残されていたイースター島のモアイ像を見て「これ本物だろうか」と悩んだそうである。勿論持ち出しが禁じられているモアイ像であるが、小松先生によれば万博の時にチリ政府が持ち込んだ本物であるそうだ。
 あの時、同じく関西に行った柴田は京都見物のみだったので、それならば見ておけば良かったと悔やんだのは蛇足である。
 また日本で最初にワードプロセッサを使用した作家であるとも今日知った。それどころか個人では日本初ではないかとのこと。もちろん最初の頃の機械は凄まじい大きさを誇り、デスクトップならぬ「机(デスク)」そのもので、重量もトン単位の代物だったらしい。
 価格も「60万円だったかな」という小松先生に対し、乙部女史が「とんでもない、600万円ですよ」とのこと。当時の600万がいかほどの価値があったのかを考えると恐ろしいことである。そして電源も大食らいで、そのために電柱にトランスを追加する騒ぎになったとか。
 また黎明期の機械のためもちろん今のような便利な機能は無く、下手するとせっかく書いた分を消してしまうこともあったとか。いやそれどころか、当時のある作家は1冊分まるまる消してしまったこともあるそうだ。
 とはいえ笹本氏も「今でも書いた一生分を消してしまうのも一発なので大変ですよ」とおっしゃられていた。確かにメモリ上から消えてしまうと何も残らない時代である。紙の保管とは違った悩みが増えてしまったのは、便利な機能と引き換えに生まれた闇の部分なのだろうか。
 蛇足であるが私個人が最初に手に入れたものは既にパソコン上で動く形式にはなっていたが、漢字をいちいちカセットテープから読み出していたという、ワープロのソフトウェアとしては極初期のものである。そのあまりの遅さに大笑いをして数回使っただけでお蔵入りしてしまった。その後中古のIBM製のPS/55というパソコンを手に入れてからは本格的に使い始めた。ただその機械ときたら「データが破損しています」というメッセージを頻繁に出し、その度にいちいち5インチのフロッピーディスクを復元していたものだった。しかも復元に成功するかは五分五分で、下手すると書いた分がまるまる蒸発するなどということもあった。まあこの辺りは作家の方々の方が数多く経験しているのではないだろうか。

 また虚無回廊の続編について質問があったのだが、あまりといえばあまりの設定に突っ伏してしまった。もちろんどんな設定であっても書き方ひとつで重厚になったり、軽くもなったりする。いつか出る続編に期待しようではないか。
 もっともこの時、もしかして設定を全部話してしまうのではないかと戦慄したのは自分だけではあるまい。

 また全体に渡って登場する故星新一氏の言葉も面白い。作品でも毒のある風刺で色々と印象的ではあったが、メディアを通さない肉声はもっと過激であったようだ。書いて良さそうなものは火星の地質に関する考察で、「火星の組成は水酸化ナトリウムだというので、なんでだと聞いたら火星ソーダ(苛性ソーダ)だ」という落ち位だが。

 笹本氏と松浦氏はいつものロケットまつりより緊張されているのが良く判る程で、今回は乙部女史のフォローがあっての成功とも言えるかもしれない。なるほど、持つべきものは良い友と良い秘書か。

 それから周囲の観客の方々は私の知らない事でもよく判っているらしく、小松先生の話に対して笑っているポイントが多い。なるほど以前からのファンの方々のようで、ロケットまつりの時よりも年齢層が高いように感じられた。隣に座られた方などは、ロフト・プラスワンのような場所に来られるのが初めての様子で、最初は大層戸惑われていた。もちろん開演後は大いに楽しまれていたようである。こちらは事前に復習をしておこうと室内の本の海から探し出そうとしたが発見できなかった。残念無念である。
(※帰宅後、大挙して発見することになる…)

 といった訳で終了する。書けない話題は我々の隠し財産となっている。
 何故書けないかはこんな怪談があるからである。……いや書けばその恐ろしさに誰かか命を落とすやも知れぬ。書いたことで祟られたりしたらかなわない。
 それでも勇気を出してその片鱗でも伝えれば…いやいや、やっぱり恐ろしい。知りたければいつか開催される2回目にあなたも参加するしかない。


 

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